おはようございます。目黒区の司法書士の増田朝子です。
学生時代から親しい友人6名で、50歳になったら「天命」を掲げて旅行をしようと約束をしています。
孔子の論語の言葉では、
40歳は「不惑」で、40歳になったら惑わないこと、心が乱れたり悩んだりしないこと、
50歳は「天命」で、50歳になったら自分の人生における使命を悟る、というような意味だったと思います。
40歳結構過ぎた現在も迷いまくっていますし、50歳になったからといって孔子のように天命が分かっているとは思いませんが、一つの節目である50歳になったら思う存分自分たちの天命について語り合おう!という...要するに単なる旅行の約束です(笑)。
学生時代はこの友人たちと、格安な青春18きっぷや学割フライトを使って、たくさん国内・国外の旅行に行きました。
みんな当時に比べて自由な時間は無くなりましたが、50歳=天命にかこつけて、またなんとか一緒に旅行したいね、ということでした。
あれから数年たち、先日その約束をした友人の一人と食事をしているときに、ふとその旅行の話になりました。
友人「50歳になったら天命旅行だったよね。」
私「そっか、いけるといいね。。。」
じつはここ数年、その仲間内で、旅行を約束した当時予期していない色々な出来事が起こっています。
子供のこと、親のこと、自分のこと。。。40歳も後半になると、自分だけではどうにも解決できない問題がたくさん出てきますし、これからもっと増えていくでしょう。
自分だけではもうどうしようもない。。。でもなんとかしていかなければならない。。。
天命を知るとは、使命を悟るというより、自分の限界を知り、その上で役割を果たすということではないかと思います。
私が果たせる役割は小さいかもしれませんが、自分が今できることに懸命に取り組んでいきたいと思います。
ちなみに、孔子の言葉の続きですが、60歳以上は次のような言葉です。
果たしていつになったらこのような境地に至れるのかは分かりませんが、目指していきたいです。
60歳「耳順」・・・耳に従いとは、他人の言葉に素直に耳を傾けられるようになる。
70歳は「従心」・・・七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(たが)えず、つまり自分の心のままに行動しても道徳に外れないようになる。